
「誰にも言えないまま、ここまで来ました」
ある商社を営むAAさんのもとに、経理部門の女性社員から、思い詰めた表情での申し出がありました。
「部長から、業務中に必要以上に距離を詰められたり、個人的なメッセージを繰り返し送られたりしています。ずっと悩んでいたのですが、もう限界です」
AAさんは、言葉を失いました。その部長は、入社以来会社を支えてきた古参社員であり、AAさん自身も長年信頼を寄せてきた人物だったからです。「本当だろうか」という戸惑いと、「もし本当なら、なぜもっと早く言ってくれなかったのか」という思いが、同時に押し寄せてきました。
事の重大さに動揺したAAさんは、その日のうちに部長を呼び出し、単刀直入に問いただしてしまいました。部長は強く否定し、「濡れ衣だ」の一点張り。話は感情的な対立へと発展し、女性社員は、自分の訴えが十分に受け止められないまま事態が表面化したことに深く傷つき、しばらく休職することになってしまいました。
AAさんは、後になって気づきました。真実を語っていた人を、正しい手順を知らなかったせいで、かえって追い詰めてしまっていたのだと。
この経験から、AAさんは一つの教訓を得ました。誠実な気持ちだけでは、ハラスメントの事実確認は成立しないということです。
ただし、重要なのはここからです。
実際のハラスメント被害がある一方で、叱責や人事評価への不満などを背景に、事実と異なる申告がなされるケースも、決してゼロではないということです。「訴えがあったから加害者」「否定したから潔白」と決めつけることは、どちらも大きな誤りです。
被害を訴えた社員の話は真摯に受け止める必要があります。しかし、それは「事実である」と決めつけることとは異なります。同様に、訴えられた社員の否定だけを鵜呑みにすることも避けなければなりません。
企業が守るべきなのは、「被害者を守ること」と「冤罪を生まないこと」の両方です。そのためには、証拠や証言を丁寧に積み重ね、誰に対しても公平な調査を行うことが何より重要になります。
ハラスメント対応で会社が最も避けるべきことは、「思い込み」で判断することです。
被害を軽視することも、訴えだけで加害者と決めつけることも、どちらも会社に大きな損害をもたらします。
だからこそ必要なのは、感情ではなく手順です。あらかじめ対応フローを整え、イデオロギーが一方向に偏っていない専門家を交えながら公平に事実を確認すること。それが、被害者も、訴えられた社員も、そして会社そのものも守る最善の方法なのです。
※弁護士や社労士も人間です。色々な思想を持った人がいます。