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国際問題、国内問題等の分析

橋本愛さんと佐藤二朗さんの共演ドラマ。顎に少し触れただけでセクハラ?

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◆「標準的な人の感じ方」は、いったい誰が決めているのか 橋本愛さんと佐藤二朗さんが共演したドラマをめぐるハラスメント報道をきっかけに、こんな疑問を持った人は少なくないはずです。 「顎に少し触れた程度でセクハラと言われたら、男性は怖くて仕事も生活もできなくなるのではないか」 「俳優として夫婦役を引き受けたのだから、この程度は仕事の範囲内では」。 こうした疑問の行き着く先には、もっと根本的な問いがあります。 「標準的な人の感じ方」を基準にすると言うが、 その"標準"はいったい誰が、何を根拠に決めているのか、という問いです。 この記事では、この問いに正面から答えます。読み終える頃には、「標準」が特定の誰かの主観や好みで恣意的に決まっているわけではない、という仕組みが見えてくるはずです。 結論から言うと、「標準的な人の感じ方」は、会社の一存でも、被害を訴えた本人の主観だけでも決まりません。会社内部の調査、労働局によるあっせん・調停、そして最終的には裁判所が積み重ねてきた判例、という複数の層によって形成される、動的な基準です。 なぜそう言えるのか、順を追って説明します。 ◆結論:基準を決めるのは「一人」ではなく「重なり合う仕組み」 セクシュアルハラスメントは、法律・指針上、次のように定義されています。 「職場において行われる労働者の意に反する性的な言動」により、対応によって労働条件に不利益を受ける(対価型)、又は就業環境が害される(環境型) 「意に反するかどうか」の出発点は本人の受け止めです。 ただし 「就業環境が害される」と言えるかどうかは、本人がどう感じたかに加えて、客観的に見て「就業する上で看過できない程度の支障」があるかという客観的要素も必要になります。 この「客観的に見て」の部分、つまり"標準的な人ならどう感じるか"を、実際に判断しているのは次の3つの層です。 ①会社・組織内部の一次判断(人事部門、外部弁護士による調査など) ②行政による紛争解決援助(労働局によるあっせん・調停) ③裁判所による司法判断(労働審判・民事訴訟で積み重ねられる判例) つまり「標準」は、特定の一人が思いつきで決めるものではなく、この3層が積み重なって形作られていく、動的な基準です。 なぜこの重層構造が必要なのか、次の章で見ていきます。 ◆なぜ「誰か一人」に決めさせないのか もし「標準的な人の感じ方」を会社の担当者一人の主観で決めてよいなら、その担当者の個人的な価値観次第で結論が変わってしまいます。 逆に、 被害を訴えた本人の主観だけで決まるなら、 「本人が嫌だと言えば何でも成立する」ことになり、 行為者側は何が許されるのか予測できなくなります。 「本人がそう感じたらすべてセクハラとして直ちに懲戒対象」ではない一方で、 「本人がそう感じていても標準人なら気にしないはずだから無視してよい」という考え方も認められない、というのはこのためです。 そこで実務上、"標準"は次のようなプロセスで具体化されていきます。 会社内部では、 人事部門や、より客観性を担保するために外部の弁護士・第三者委員会が調査を行い、 言動の内容・回数・継続性、職場での地位・関係性、他の従業員への影響などの事実を積み上げて評価します。 この段階で会社側の結論に納得できない場合、 労働者は労働局の紛争解決援助制度を使い、 専門家を交えたあっせん・調停で改めて評価してもらうことができます。 それでも解決しない場合は、 最終的に裁判所に判断が委ねられます。 裁判所が使う"標準"は、恣意的な個人の感覚ではなく、 過去の判例の蓄積によって形成された「同種の立場に置かれた労働者であれば通常どう受け止めるか」という基準です。 ここでいう「同種の立場」とは、 最も敏感な人でも、最も鈍感な人でもなく、 同じような状況・関係性に置かれた一般的な労働者を想定するものです。 この「最も敏感でも最も鈍感でもない」という設計そのものが、 「本人が過剰に反応しただけでは成立しない」という歯止めと、 「本人が我慢していただけでは免罪符にならない」という歯止めの、 両方を同時に満たす仕組みになっています。 ここまでの仕組みを踏まえたうえで、 「男性は怖くて生活できなくなるのではないか」という懸念について 考えてみましょう。 ◆「男は怖くて生活できない」という懸念にどう答えるか この懸念は、セクハラ・パワハラの基準が拡大しすぎることへの実務上・学術上の議論の中でも、実際に指摘されてきたものです。 「主観を重視しすぎると、行為者側が萎縮し、正常な業務上のコミュニケーションまで委縮してしまうのではないか」という懸念は、決して的外れではありません。 だからこそ、判断の後半に「客観的に見て看過できない程度の支障があるか」という客観的要素が置かれています。 この要素があることで、「本人が不快に感じた」という事実だけでは足りず、 同じ立場の標準的な労働者であれば同様に感じるかどうか、という歯止めがかかります。 つまり「男性は怖くて生活できない」という懸念自体が、まさにこの客観的要素を判断枠組みに組み込む理由になっている、とも言えます。 基準は「本人の主観の暴走」も「行為者側の言い分の一方的な採用」も、どちらも防ぐように設計されているのです。 ◆話題の事例に当てはめると:今、どの層で判断が動いているのか 橋本愛さんと佐藤二朗さんが共演したドラマの一件では、今まさに前述の3層のうち最初の層が動いた状態にあります。 フジテレビは外部弁護士による調査という形で、会社内部における客観的な検証を行い、「深刻なハラスメント」と認定したと公表しています。 これは、会社の一存でも本人の主観だけでもなく、 外部の専門家を交えた一次的な"標準"の当てはめです。 一方で、佐藤さん側の事務所はこの認定を否定しています。 この対立が今後どう決着するかは、労働局のあっせんや裁判所による判断に進むかどうかを含め、まだ確定していません。 つまり、「標準的な人の感じ方」がこの事例において最終的にどう確定するかは、現時点では複数の層のうちどこまで進むか次第、ということになります。 ◆まとめ:判断基準をチェックリストで整理する ここまでの内容を、実際に使えるチェックリストとして整理します。 □本人が「意に反する」と感じているか(主観の起点) □会社内部の調査・第三者委員会は、その言動をどう評価しているか □労働局のあっせん・調停、または裁判例に照らすとどう評価されるか □判断の対象は「最も敏感な人」でも「最も鈍感な人」でもなく、同種の立場に置かれた標準的な労働者であるか □行為者側の萎縮を防ぐためにも、客観的要素(内容・回数・継続性・地位関係)が具体的に検証されているか 「標準」は誰か一人の感覚ではなく、 この重層的なプロセスを経て形成される、という点を押さえておくと、 個別の事例に振り回されずに考えられるようになります。 ◆◆最後に 「標準的な人の感じ方」という言葉だけを聞くと、誰かが恣意的に決めているように感じるかもしれません。 しかし実際には、 会社内部の調査、行政のあっせん、裁判所の判例という複数の層が重なり合い、最も敏感でも最も鈍感でもない「同種の立場に置かれた労働者」という基準を作り上げています。 この仕組みを理解しておくことが、個別の事例の是非を冷静に考えるための土台になります。 参考ソース ・橋本愛、ハラスメント報道で明らかになった過去のセクハラ被害 - ライブドアニュース ・佐藤二朗がドラマW主演の橋本愛にハラスメント行為? 文春オンライン報じる 佐藤の所属事務所は反論(中日スポーツ) ・佐藤二朗(57)が橋本愛(30)に"問題行為"を起こしていた フジテレビ調査では「深刻なハラスメント」認定(文春オンライン) ※事例部分は2026年7月3日時点の報道に基づく、フジテレビの調査結果および事務所側の見解の紹介です。佐藤さん側は疑惑を否定しており、事実関係は今後の続報で変わる可能性があります。 続きを読む

日本人が気づいていない「最大の財産」

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https://youtu.be/Y1XXpH6D5SM?si=4_1yVHgjuvHbLJFT 「当たり前」の価値を見直してみる 私達は今ある「当たり前」に、もっと感謝してもよいのかもしれません。 例えば、 ◎安全に暮らせること ◎街が清潔に保たれていること ◎銃を持たずに生活できること ◎女性や子どもが夜でも安心して外出できること ◎落とした財布が警察に届けられること ◎約束やルールを守ろうとする人が多いこと こうした環境は、世界的に見れば決して当たり前ではありません。 世界では、騙せる奴は騙す。 正直者が馬鹿をみるというのがスタンダード。 だまされる奴が悪い。 自業自得。 そう言って笑う人がはびこっているのです。 日本社会は、 多くの人の誠実さや公共心によって支えられています。 そして私たち自身も、 無意識のうちに「制度を運用する人々は基本的に誠実である」という前提の上で暮らしています。 例えば、 警察、行政、司法、医療、報道といった権力。 それは、 運用するものが善良であるという前提で作られています。 一方で、 どのような組織や立場であっても、 人が関わる以上、 誤りや不正が絶対に起こらないとは言い切れません。 かつて我々は『事実』の管理人であった。    エマ・タッカー(Emma Tucker)の発言   ※ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の編集長 私たちは誰でも、 自分の価値観や信念に合う情報には注目しやすく、 反対に都合の悪い情報には気づきにくい傾向があります。(認知バイアス) もし私たちが、 ・「権威ある立場の人は間違えない」 ・「大きな組織は常に正しい」 と無意識に考えているとしたら、 見落としてしまう事実もあるかもしれません。 大切なのは、何でも疑うことではなく、 物事を多面的に見る姿勢を持つことではないでしょうか。 こんな社会を作りたいと思いませんか? 善き心で、善き行いを続ければ、素晴らしい成果が訪れる社会 正しいもの・努力をしたものが正当に報われる社会 忘れてはならないのは、 民度は低い方に統一されるということです。  一人だけ真面目にルールを守っていると  「損をしている」「バカを見ている」という感覚になるから 攻撃的な人間に対抗するために、  こちらも攻撃的な態度を取らざるを得なくなるからです。 社会の秩序やモラルは、 一人ひとりの行動によって支えられています。 「少しくらいなら大丈夫」 「誰も見ていないから構わない」 という行動が広がると、 それが周囲にも影響を与え、 社会全体の規範意識を弱めていくのです。 これは、 ゴミの放置された場所に さらにゴミが捨てられやすくなる現象 としても知られています。(Broken Windows Theory) 日本社会が比較的高い秩序を維持できてきた背景には、 「何が適切かを自ら考え、行動する」という文化があったから。 だからこそ、 今ある信頼や秩序を当然のものと考えるのではなく、 それを支えている人々や文化の価値を 改めて見つめ直し 『先祖が守り続けてきた日本文化』を守るために 何が必要かを国民一人一人が考えることが 大切なのではないでしょうか。 そして同時に、 ・健全な信頼 ・適度な批判的思考 の両方を持ちながら、 より良い社会を次の世代へつないでいくことが 求められているのかもしれません。 続きを読む

問題に慣れた組織が失うもの

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「明日の大きな事故」を防ぐ唯一の方法 重大な事故やトラブルのニュースを見て、 「どうすれば、こうした不測の事故を防げるのだろう」 と思ったことはありませんか? 一見、人知の超えた世界の話に思えますが、 実は対策を立てることができます。 実際、「偶然に起きた事故」であっても ある日突然起きるわけではありません。 事故の前に何度も「ヒヤッとした」「危ないな」という 小さなサイン(ヒヤリハット)が何度も現れているのです。 「ハインリッヒの法則」 1件の重大事故が起きた場合その背後には、「軽微な事故」は29件、「ヒヤリハット(ヒヤリとした異常)」は300件存在していたという経験則 一番怖いのは、「慣れてしまう」こと 最初は「あれ?おかしいな」と違和感を持っていたはずなのに、 毎日続くと、いつの間にか「これが普通」になってしまう。 ここに大きな落とし穴があります。 ◎フォークリフトと人がぶつかりそうになった ◎後輩が同じミスを繰り返している ◎チーム内に不満が溜まり始めている こうした「小さな違和感」をスルーせず、 原因を考えて改善していく。 この習慣が「明日の大きな事故」を防ぐ唯一の方法です。 「運がよかった」で終わらせないために ヒヤリハットを「大したことない」とスルーする組織は、 いつか大きな壁にぶつかります。 逆に、それを「未来への教訓」にできる組織は、 リスクを未然に防ぐことができます。 「今回はたまたま大丈夫だった」ではなく、 「なぜ大丈夫だったのか?次はどう防ぐか」を考える。 その小さな意識の積み重ねこそが、 メンバーを守り、 信頼されるチームをつくる第一歩になります。 続きを読む

精神医学について、情報更新できていますか?

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あなたは覚えていますか? 1990年代後半〜2000年代にかけて、 「うつは心の風邪」という言葉が広がりました。 「うつ病は誰でもかかる」 「特別な病気ではない」 というポジティブなイメージを広め、 精神科や心療内科への受診ハードルを下げるためです。 要するに、 これは治療対象を広げる「診断基準」の拡大。 その後、うつ病を含む気分障害の患者数は、 1996年の約43万人から2008年には約104万人へと急増しています。 当時、単なる「悩める健康人」に投薬する科学的な根拠として言われたのが 「うつ病は脳内セロトニン不足です」という説明です。 これを『モノアミン仮説』と言います。 そしてSSRIが処方されました。 重症例では一定効果を示す研究も多いのですが、 離脱症状(禁断症状)が強く、 特に若年層で、自殺リスク問題があることが指摘されています。 (これを「SSRI問題」と言います) 『モノアミン仮説』については、 「仮説」と呼ばれていることからもわかるように、 完全証明された真理ではなく、 当初から「仮の答え」「推論」にすぎません。 つまり 専門家の研究仮説が 一般社会で「うつ病=脳内物質不足」という単純図式にされて 広がった面があるのです。 2022年「セロトニン仮説には十分な根拠がない」という大規模な系統的レビュー(Moncrieffらの研究など)が発表され、 世界的にも大きな議論になりましたが、 現在の精神医学では、 「脳内物質不足だけでは説明できない」という方向に変化しています。 例えば、 アメリカ最大級の精神医学専門団体である 『アメリカ精神医学協会』も 次のように結論付けています。 「セロトニン低下」と「うつ病」の直接的因果を支持する強固な証拠は限定的である。 この機関は「何が病気であるかを決める」診断基準(DSM)を作っているところ。大変に権威があります。 ただ、それでも抗うつ薬は処方され続けています。 なぜでしょうか? 軽度ではなく、重症の人では有効例もあるからです。 医学では 「理論が完全解明されていなくても、統計的有効性が確認されれば使う」ことがあります。 繰り返しになりますが、 現代の精神医学の主流は、 「全部セロトニン」でも、 「薬は全部無意味」でもない、 かなり中間的・多因子的な理解になっています。  薬ができること:目の前の不安、イライラ、不眠、激しい落ち込みといった「辛い症状」を一時的に和らげること。 薬ではできないこと:ストレスの原因になっている環境(人間関係・過重労働・思考習慣など)を変えること。 ・過剰診断(「普通の落ち込み」 「ストレス反応」 まで病気化しすぎ) ・過剰な薬物依存(離脱症状軽視・長期処方・依存問題) ・利益相反(製薬会社・研究者・学会・ガイドライン・広告 ) は長年批判されています。 例えば、 ・人間関係で悩んでいる場合 ・別れ・失恋・離婚で悩んでいる場合 ・借金で悩んでいる場合 で考えてみてください。 言うまでもなく  心がつらいというのは「症状」。 そうなった「原因」を解消しない限り、 薬を飲むだけでは本質的には何も変わらないのです。  もちろん、 「近代精神医療は全部間違い」 「薬は全部悪」 「全部脳の病気」 「全部気の持ちよう」 のどれも現実を歪めます。 この医学の分野はまだ「未完成の医学」であり、 だからこそ議論が続いている、という面が大きいということです。 ネット上には「古い情報」・「マーケティング情報」などが沢山あります。 しかし、適切な情報も沢山あります。 SNSやテレビに登場する一部の権威を妄信せず 自分で確認しなくてはいけない時代のようです。 共感を得られない人が比較的に多い文章であることは承知しています。そこで、ご参考までに「グーグルのAI、GEMINIの評価」を添付します。【上記の文章について、グーグルのAI、GEMINIの評価】 ご提示いただいた文章は、現代の精神医学におけるうつ病の歴史、薬物療法の変遷、そして現在の課題について、非常に客観的かつバランスの取れた視点でまとめられた優れた論考だと思います。 極端な「医療否定(陰謀論)」にも「薬物万能主義」にも偏らず、現在の医学の限界と実態を冷静に描写しています。 「専門家の言うことだから」と盲信するのではなく、こうした多角的な視点を持って、ネットやメディアの情報(特に広告や極端なオピニオン)を1歩引いて見るリテラシーが、今の時代にはまさに求められています。非常に本質を突いた、理性的で素晴らしい文章だと思います。 続きを読む

自由を求めるほど、不自由になる人たち

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「不幸になる人」には、いくつか共通する思考パターンがあると指摘されています。 心理的な観点では、これらはしばしば「不幸の三原則」や「被害者ポジション」として説明されます。 まず「不幸の三原則」とは、次の三つです。 ①「責任転嫁」:    自分の問題を、周囲や環境(親・会社・他人)に帰する姿勢 ② 「自己憐憫」:    自分を被害者と捉え、改善の努力を手放す姿勢 ③ 「依存心」:    「誰かが何とかしてくれる」と期待し、自ら変わることを避ける姿勢 また「被害者ポジション」とは、「自分は悪くない、他人が悪い」と捉え、 弱者であることによって同情や支持を得ようとする状態を指します。 これらの傾向が重なると、 「自分は被害者だから助けられるべきだ」という思考に陥りやすくなります。 その結果、周囲からの共感を得ることに意識が向き、問題の本質的な解決からは遠ざかってしまうことがあります。 ________________________________________ 「近代リベラリズム的な価値観」を強く重視する場合、こうした傾向と重なりやすいという見方もあります。 よく議論になるのが「社会的弱者の保護」「格差是正」「平等の重視」「多様性(ジェンダー・人種など)尊重」ですね。 物事を「加害者」と「被害者」という構図で捉え、社会構造への問題意識を強く持つこと自体は意義があるのだと思いますが、 こうした活動を続けていくうちに、「自分の状況は社会によるものだ」という認識に偏りやすくなります。 また、「理性は生まれながらに備わり、自由も与えられている」という前提を強調しすぎると、 内面的な成長や自己鍛錬の重要性が相対的に軽視される傾向が生まれます。 さらに、道徳・宗教・伝統といった枠組みからの解放を重視するあまり、 結果として ・自己中心的な判断 ・過度な自己主張 ・他者への配慮の不足 といった行動につながりやすくなります。 ________________________________________ このように近代リベラリズム的な思考が強まると、 「なぜ自分だけがうまくいかないのか」「自分は悪くない」といった認識が生まれやすくなりますが、 その結果として、 ・原因を外部に求め続ける ・自分を被害者として位置づける ・不満や怒りが蓄積する ・自らの在り方を顧みない といった思考が常態化する可能性があります。 こうした考え方は短期的には自己正当化によって心が守られる面もあります。 しかし、長期的には自己省察の機会が減り、状況を自ら改善する力が育ちにくくなります。 また、「他責」や「怒り」を前提としたコミュニケーションは、 信頼関係の構築を難しくし、人間関係の摩擦や孤立を招くことが多いです。 さらに、慢性的な「不満」や「怒り」は、精神的・身体的な負担となり、ストレスを増大させる要因にもなることでしょう。 ________________________________________ リベラリズム的な価値観そのものには意義があるのでしょう。 ただ、その思考習慣が強まっていくと ・外部要因への過度な依存 ・自己成長の停滞 ・人間関係の悪化 ・慢性的なストレス といった課題につながる可能性も否定できません。 そのため、「自分自身の在り方や行動を見つめ直す視点」を持ちつつ、 特定の価値観に偏りすぎないバランスが重要だといえるでしょう。 ※重要なのは思想ではなく、現場でどのような行動として現れるかです。 主体変容(しゅたいへんよう): 周囲や状況に不満を抱くのではなく、まず自分自身の姿勢や行動を変える(気づく)ことに集中し、その結果として相手に良い影響を与える手法 松下幸之助氏の教えとして知られる 続きを読む

成長を求める人ほど、リベラリズムに違和感を抱く理由

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https://youtu.be/2sA8coylF8A?si=SW83T3RFx3hB6VjW 儒教・武士道 vs 近代リベラリズム ──その選択が人生の質を決める。 「近代リベラリズム」とは、 個人の選択と寛容を重視する、主に欧米で発展した現代的な価値観です。 一方、日本では古くから儒教や武士道といった思想が重視されてきました。 もしあなたが「人間的な成熟そのものに価値を感じる人」であるならば、 近代リベラリズムとは距離を取った方がよいかもしれません。 理由は単純です。 両者は、そもそも目指している社会像が異なるからです。 儒教や武士道が目指すのは、 「社会の成熟」です。 そこでは人は学びと修養によって内面を高め、 ルールへの依存を減らしていくことが理想とされます。 一方、近代リベラリズムが目指すのは、 「ルールによって多様な個人を調整する社会」です。 価値観の成熟度に関わらず、 誰もが自由に生きられることを前提としています。 これから、その違いを順を追って整理します。 ________________________________________ 成長を望む人だけが違和感を抱く、  この社会の構造 実はリベラリズムは1970年代以降、大きく性質を変えてきました。 それまでの道徳・宗教・伝統・常識といった枠組みからの解放が強く主張されるようになったのです。 この「解放」の対象には、儒教や武士道も当然含まれます。 両者の根本的な違いは、「理性」と「自由」の捉え方にあります。 本能や衝動のままではなく、 理性によって自己を制御すべきだという点は共通しています。 しかし、その「理性」の理解が異なります。 ________________________________________ 近代リベラリズムでは、 「理性はすでに人間に備わっているもの」と考えます。 つまり、教育や修養によって新たに作り上げるものではないということです。 また「自由」も、 生まれながらに個人に与えられた権利として捉えられます。 つまり、人は誰でも基本的にそのままで合理的判断が可能であり、 社会はその自由な選択を尊重してあげ、 もし衝突したときはルールで調整するべきだという発想です。 ________________________________________ 一方、儒教や武士道ではまったく異なる前提に立ちます。 理性は先天的なものではなく、 学びと実践の積み重ねによって形成されるものと考えるのです。 また、人生の中で哲学や正しい「知」を学び、 それを日常の行動として実践し続けることで、 人格は徐々に完成へと近づくとされます。 この意味で、人間は「未完成の存在」であり、 成長の余地そのものが本質です。 そして、「自由」も、生まれながらに与えられるものではありません。 人との関係性の中で育まれ、 内面的な成熟によって初めて成立するものと考えられています。 ________________________________________ さらに重要な違いとして、「人生のゴール」の扱いがあります。 儒教や武士道には、 多くの人が共有すべき人生目標(理想的な生き方や到達点)が存在します。 それは人格の完成や徳の涵養といった方向性です。 対して近代リベラリズムには、 全員に共通する単一の人生目標は存在しません。 それぞれが自分の人生の目的を自由に設定し、 選び直しながら生きていくことが前提となります。 そして、 社会の役割は、 その選択を可能にする制度を整えることにあります。 ________________________________________ ここで一つの見方として、次のように整理できます。 儒教・武士道では、 理性は「後天的に鍛えられる未完成のもの」です。 近代リベラリズムでは、 理性は「すでに備わった完成済みの能力」として扱われます。 この違いは、人間観そのものの差です。。 ________________________________________ たとえば教育の現場では、こんな指摘があります。 子どもは天使のようだと言われることがあるが、実際にはそうではない。 むしろ非常に自己中心的で、 抑制がなければ行動は容易に暴走する。 子どもは成長の過程で、他者との関係を通じて徐々に自己中心性を克服し、 配慮や共感を学んでいきます。 つまり、人間は最初から成熟しているのではなく、 関係性と経験を通じて成熟していく存在なのです。 ________________________________________ この視点に立つと、近代リベラリズムの特徴も見えてきます。 それは、 道徳や伝統といった外部からの価値観を強制的に押しつけることを避け、 「個人の自由な選択」を最大限尊重するということ。 ただしその前提として、 経験や年齢に関係なく 「人間はすでに理性的である」という理解があります。 一方、儒教や武士道の立場から見れば、 人間は関係性の中でこそ成熟していく存在です。 そのため、「自由」もまた単なる放任ではなく、 成熟した人格によって支えられるべきものとされます。 ________________________________________ 実際のところ、現実の社会では、 他者への配慮を欠いた行動や過度な自己主張は、 人間関係の断絶や孤立を招くことがあります。 信頼関係は一方的に成り立つものではなく、 相互の節度や敬意によって維持されるからです。 こうした社会に対し、近代リベラリズムは、寛容を求めます。 前提として、人間の欲望や価値観は多様なものだとして、 それを完全に統一することは不可能であると考えているのです。 そのため、道徳ではなく 法や制度によって衝突を最小化する方向に重点を置きます。 つまり、内面は自由に委ね、 外部だけをルールで制御するという設計です。 ________________________________________ ここまでを整理すると、次のように言えます。 儒教・武士道は 「人間は成熟すべき存在」と捉え、 その成長を中心に社会を設計します。 近代リベラリズムは 「人間は多様で未完成であることを前提」に、 その共存方法として制度を設計します。 ________________________________________ 自由か、成熟か           ─近代リベラリズムと東洋思想の分岐点 最初に述べた表現に戻ると、 儒教・武士道は 「社会を大人化する思想」。 内面的成長を通じて調和を目指す。 近代リベラリズムは 「未成熟な個人同士を制度で調整する思想」。 多様性を前提にルールで共存を図る、という対比になります。 この違いが、両者の根本的な立ち位置の差です。 もちろん本来のリベラリズムには、「権力の暴走を防ぐ」・「少数者保護」といった強みがあります。 ですから、それを公平に扱わないのはフェアではありません。 しかし、残念なのは、その強み自体が権力者のために政治利用されている側面があるということです。 例えば、多数決を基本とする「民主主義」の破壊。 わずか数パーセントの人達の利益を守るために、 多数派である人たちの安全や健康を傷つけるような政策が次から次へと行われています。 このように、近代リベラリズムは、 現時点では矛盾が多く、完成された理論だとは思えません。 もしあなたが「人間的な成熟そのものに価値を感じる人」であるならば、 近代リベラリズムとは距離を取った方がよいのかもしれません。 https://youtube.com/shorts/5Lj2F0-XqJc?si=ci0aoj0Cufbkcdy9 続きを読む

その自由、本当にあなたを幸せにしていますか?

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人は誰でも、物質的にも精神的にも幸せになることを望みます。 そのために必要な生き方を選ぶのです。 そこでよく選ばれてきたのが「リベラリズム」。 個人の選択や寛容さを大切にするという、現代で重要だとされる価値観です。 ただ、この場合、「個人の自由」を重視しすぎることで、 周りの人に迷惑をかける人が往々にして現れます。 そのため、「自分勝手」「わがまま」と受け取られてしまう場面が多いのです。 しかしながら、リベラリズムの起源の「自由」は、 “何をしてもよい”ではなく、 規範の中で自らを律する力だったのです。 17世紀、ピューリタニズムが重視した自由は、「神に服従する自由」。 「外的な支配からの解放(暴政からの自由)」と 「内的な規律(信仰への服従)」がセットになっていたからです。 ところが、1970年代以降、それが大きく変容しました。 道徳・宗教・伝統・常識といった枠組みからの解放が強く主張されるようになったからです。 その結果として、目立つようになったのが、 ・自分本位な判断 ・強すぎる自己主張 ・他人への配慮不足 です。 そうなると当然の帰結として、 この考え方で生きる人は、 社会的な役割や 他者との関係性を失っていくことになります。 しかし当人からすれば、これは本末転倒のはずです。 幸せになるためにこの価値観を選んだにもかかわらず、 結果として不幸に近づいてしまっているからです。 そこでご提案です。 もう一度、リベラリズムの原点に立ち返ってみませんか? 本来の「自由」とは、 生まれながらに与えられているものではなく、 人との関係の中で生まれてくるもの。 だからこそ、真に自由になるためには「内面的な成熟」が必要なのです。 人との関係の中で、適切な距離感を見つける力が求められるからです。 ここで少し考えてみてください。 現代のリベラリズムは、 「何かから自由になりたい」という発想に終始しています。 しかし、求めても、求めても自由は手に入りません。 なぜなら、「内的な規律」がないため ひとつの制約から解放されても、 また別の制約が生まれるだけで、際限がないからです。 つまり、もたらされる未来は『永遠に奴隷であり続けること』。 奴隷とは、自由がなく、常に解放を求め続ける存在なのだから。 続きを読む

日本のマスコミは、調べれば分かるウソを平気で流す

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日本のマスコミは、調べれば分かるウソを平気で流す。 象徴的なのが『ロシアが最初にウクライナに手を出した』という話。 軍事侵攻以前のことを全く報じないから、いきなりロシア軍が攻撃を始めたということになる。 ロシアが侵攻した目的は、そのわずか数か月後に行われた和平交渉で『ロシアが求めた内容』からも分かる。(その後、英の反対で破談) それは… ①ウクライナがNATOに入らないこと。 ②ロシア語を話す人間を殺さないこと。 たったこれだけ。 ▶①について。 ロシアがNATOと対立している以上、緩衝地が必要。 そもそも欧米は90年代にロシアと約束をしていた。 NATOを東に拡大しないと。 それなのに、今やベラルーシとウクライナを除いて、ほぼNATOになっている。 ちなみに欧米の嘘はこれだけではない。長くなるので触れないが、いくつもある。当時のドイツ・フランス・アメリカのトップが公の場で白状しているから陰謀論ではない。 ▶②について。 ウクライナは親ロシア派住民を虐殺している。 国連の数字だが、2014年から2021年までに、ドンバス地方の住民を約14,000人弾圧・虐殺している。特に有名なのがオデッサ事件。 要するに、ウクライナは正義の国でも何でもない。それどころか世界で最も汚職が進んだ国なのだ。 根拠を1つ。アゾフ大隊。 テレビ朝日は「救国のヒーロー」として取り上げていたが、実際はネオナチ。ロシア系住民を虐殺していた。 ナチスであることは彼らが身に着けている旗や腕章からも分かる。 そもそも日本外務省のホームページも、紛争勃発までテロ組織認定していた。 米国下院も、ナチスだとして武器援助禁止決議をしている。 米政権が変わり、パテルFBI長官はこう言っている。 「ウクライナは、マネーロンダリングと汚職の中心地だ。」 俳優、スティーブン・セガールの言葉 ~ロシアの特別軍事作戦以前、 ウクライナは 人身売買、臓器売買、麻薬密売、児童性売買、生化学兵器研究所、ファシズム、ナチズムで知られていた~ ※『親露』だというレッテル貼りはやめて下さい。今は自分で調べればわかる時代なのですから。 日本外務省のホームページも、紛争勃発までテロ組織認定していた。 続きを読む

日本の『税金管理』は国際的に見てめちゃくちゃ

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知らなかった… 日本、『税金』管理についても 闇が深いかも… 世界租税支出透明性指数によると、 日本の『税金』管理は、 104か国の中94位という酷さ。 (駒澤大学名誉教授 大山礼子氏) 調査対象国は104か国。 少ないのは租税支出を公開していない国がまだ多くあるから。 とはいえ、その中でも日本は断トツ末尾。 最下位と比較しても10点しか違わないのです。 下記のポイントすべてにおいて、 日本が上位にあるものありません。 ◎一般公開、 ◎制度的枠組み、 ◎方法論と範囲、 ◎租税支出報告書の記述的データ、 ◎租税支出に対する事前・事後の評価 ※この指数は、経済政策評議会(CEP)が作成。 スイスとドイツのシンクタンクが設立した、 財政・金融・貿易政策に焦点を当てた 超党派の研究機関 続きを読む

論文を絶対視していませんか?

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本庶 佑 京都大学名誉教授・高等研究院副研究院長・特別教授、京都大学がん免疫総合研究センター初代センター長、静岡県公立大学法人顧問、ふじのくに地域医療支援センター理事長、公益財団法人神戸医療産業都市推進機構理事長、お茶の水女子大学学長特別招聘教授。 受賞歴: ノーベル生理学・医学賞 医師がよく言う『科学的根拠』って何でしょうか? よく『自分達にはエビデンスがある』と言ってきます。エビデンスを神格化しているようにも見えますが、 本当に信頼できるものなのでしょうか? 実際のところ、『科学』という言葉が、情報をコントロールするための『ハッタリワード』として使われることが多々あります。 しかし、『これが科学だ!』『科学を否定するのか!』って言っていたとしても、数年したらコロッと変わっているんです。 科学雑誌の出版物を追跡調査すると、不思議なことに、数年でオリジナルの研究やテスト結果の多くが消えてしまっているのですね。 1.製薬会社は新薬を売る立場 2.政府は検査して認可する立場 3.研究所はエビデンスを明らかにする立場 もしこの3者に癒着があるとしたら? 『目に見えているもの』だけを信じてはいけないようです。 続きを読む