
「あの時のこと、覚えていますか」
繁忙期のミスが続いていた社員のFさんに、店長は先週、始末書を伴う正式な注意を行った。Fさんは顔を伏せ、何も言わずに聞いていた。
その4日後、経営者のGさんのもとに、Fさんからの申し出が届いた。「半年前、店長から体に触れられ、しつこく食事に誘われた」という、セクハラの訴えだった。
社内の空気は、一瞬で凍りついた。そして同時に、ある空気も流れた。
「タイミングが、あまりに出来すぎている」
始末書の直後という事実が、誰の目にも「叱られた腹いせ」に見えた。店長自身も強く否定し、周囲の社員たちも「Fさんが感情的になっているだけだ」と口を揃えた。Gさんの中にも、正直、同じ考えがよぎった。
ここで、Gさんの判断が分かれ道になった。「どうせ仕返しだろう」と流してしまうことも、「訴えがあった以上、店長を疑うべきだ」と即断することも、どちらも同じくらい危険だと、Gさんは踏みとどまった。
「本当に何もなかったなら、店長を守るためにも。もし本当に何かあったなら、Fさんを守るためにも。事実を、丁寧に確かめよう」
Gさんが選んだのは、以前学んでいた通りの手順だった。Fさんの話を否定も肯定もせず、まず単独で、詳細な時系列とともに聞き取る。次に店長から、同じ項目で単独に聞く。そして、当時周囲にいたはずの社員たちにも、個別に確認を取っていく。
聞き取りを重ねるうちに、Fさんの証言には少しずつ食い違いが見え始めた。「その場にいた」とされた同僚は、当日は別の店舗に応援に出ていて不在だったことが、勤怠記録から判明した。日付や場所の説明も、聞くたびに微妙に変わっていった。
最終的にFさんは、涙を流しながら、事実を大きく誇張していたことを認めた。始末書への反発から、店長を困らせたい一心だったという。
もしGさんが、最初の空気に流されて「どうせ仕返しだ」と最初から取り合わなかったら――それがもし本当だった場合、Fさんの訴えは闇に葬られていた。
逆に、「訴えがあった以上は」と店長を頭ごなしに疑い処分していたら――潔白な店長のキャリアを不当に奪っていた。
店長を守ったのも、Fさんの言い分に本来向き合うべきだったのも、Gさんの人を見る目や勘ではなく、感情を脇に置いて手順通りに進めた「公平な事実確認」そのものだった。
セクハラの訴えは、常に真剣に受け止めなければならない。同時に、「タイミングが怪しいから」という理由だけで、真偽を決めつけてもいけない。どちらの立場の人も守れるのは、最初から答えを決めない、丁寧な事実確認の手順だけだ。