円満退職のはずが、退職代行から突然連絡が来た。

「社長、大変お世話になりました。」

退職を申し出たAさんは、最後まで穏やかな表情でした。

会社としても、これまでの貢献に感謝し、送別会の日程まで決めていました。

「いつでも遊びに来てください。」

笑顔で送り出し、お互いに気持ちよく終わった――はずでした。

ところが翌日。

会社に一本の電話が入ります。

「○○退職代行です。
本日以降、ご本人への直接連絡はお控えください。」

社長は、言葉を失いました。

「昨日まで、普通に話していたのに……」

退職を拒んだわけではありません。怒鳴ったわけでも、無理に引き止めたわけでもありません。

それでも本人は、最後のやり取りを第三者に任せることを選びました。

社長の胸に残ったのは、怒りというよりも、寂しさに近い感情でした。

「人と人との関係は、最後まで直接話すことさえ難しくなってしまったのだろうか」

退職代行が「便利」と考えられる理由

退職代行が利用される背景には、現実的な事情があります。

例えば、

  • 退職を申し出ると強く引き止められる
  • 上司が怖くて直接話せない
  • 心身が疲弊し、会社と連絡を取ること自体が苦痛になっている
  • 退職の意思を伝えても受け付けてもらえない
  • 何をどのように伝えればよいか分からない

といったケースです。

こうした人にとって、退職代行は単なる「楽をするためのサービス」ではありません。

自分一人では動けなくなったときに、会社との間に入ってもらうことで、退職に向けた最初の一歩を踏み出せる。その意味では、本人を追い詰めないための避難経路になる場合があります。

しかし、便利さの裏側で失われるものもある

問題は、退職代行が必要な場面があることではありません。

本来は直接話せる関係であったにもかかわらず、
少し気まずい、面倒である、責められたくないという理由だけで、
対話そのものを外部に委ねることが当たり前になることです。

退職とは、本来、雇用契約を終わらせる手続きであると同時に、人と人との関係を終える場面でもあります。

そこには、

  • お世話になったことへの感謝
  • 迷惑をかけたことへの説明
  • 会社側からのねぎらい
  • 引継ぎに関する相談
  • 誤解を解くための対話

があります。

もちろん、すべての退職がきれいに終わるわけではありません。

それでも、面倒なことや不快なことをすべて第三者に任せるようになれば、
少しずつ、何か「人として一番大事なもの」を失っていくのではないでしょうか。

「なんでも代行」の先にあるもの

退職代行だけではありません。

謝罪代行、クレーム代行、告白代行、別れ話の代行など、現在はさまざまな代行サービスがあります。

確かに便利です。しかし、この考え方を従業員側だけでなく、会社側も突き詰めていくと、どのような社会になるでしょうか。

社員が退職の意思を代行会社から伝える。

会社も、本人への注意や退職勧奨を外部業者に任せる。

ある日を境に上司は部下と話さず、部下も上司と話さない。

問題が起きるたびに、双方が代理人を立てる。

そうなれば、職場は人間関係の場ではなく、単に契約を処理する場所になっていきます。

相手の立場を考えることも、誤解を解くことも、関係を修復することもなくなります。

何かあれば、すぐに第三者へ。

自分では言わない。

相手の話も聞かない。

傷つく可能性のある場面から、すべて逃げる。

それが本当に、人にとって優しい社会なのでしょうか。

つまり、退職代行をめぐる問題は、

  • 従業員が弱くなった
  • 今の若者は無責任だ
  • 会社が悪い
  • 退職代行が悪い

という単純な話ではありません。

本質は、人と人とが直接向き合う力を、社会全体が失いつつあるのではないかという点にあります。

最後に

退職代行は、追い詰められた人にとって救いになることがあります。

その便利さを、否定することはできません。

しかし同時に、便利さによって、

自分の言葉で伝えること

相手の言葉を聞くこと

関係を最後まで丁寧に終えること

まで手放してよいわけではありません。

会社も従業員も、何でも外部に任せれば楽になります。

けれども、その先にあるのは、誰も直接話さず、誰も責任を引き受けない社会かもしれません。

大切なのは、退職代行を使った人を責めることではありません。

なぜ、直接話すことができなかったのか。

その理由を、本人側と会社側の両方から考えることです。

LSOでは、

人・現場・会社・法律

という4つの視点から状況を整理し、

「結論を急ぐ」のではなく、

「納得できる判断をするための材料」を整えることを大切にしています。