
「日本人って、空気を読みすぎだと思うんですよ」
「日本人って、空気を読みすぎだと思うんですよ」
会議の途中、若手社員のAさんがそう言いました。
「言いたいことがあっても言わない。周りに合わせる。そんなの息苦しいじゃないですか。もっと自分の考えを自由に言った方がいいと思います」
社長も、その意見には一理あると思いました。
確かに、上司の顔色ばかり見て誰も反対意見を言わない会社では、問題があっても表に出ません。
「こんなことを言ったら嫌われる」
「みんな黙っているから、自分も黙っていよう」
そんな「空気を読む文化」が強すぎれば、組織は間違った方向へ進むことがあります。
ところが、Aさんの言う「空気を読まない」は、少し違っていました。
忙しい時間帯でも、自分の仕事が終われば周囲を手伝わない。
同僚が困っていても、
「それ、私の仕事じゃないですよね」
終業時刻が近づけば、引き継ぎもせず帰る準備を始める。
会議でも、
「私はそう思いません」
と自分の意見は強く主張する一方で、他人の事情や立場にはあまり関心を示しません。
空気を読むのをやめる
=「身勝手」に生きる?
ある日、社長はAさんに尋ねました。
「空気を読まないことと、他人への配慮をしないことは、同じなのかな?」
Aさんは黙りました。
社長は続けます。
「例えば、誰も空気を読まない社会を想像してみようか」
列に並んでいても、「自分は急いでいるから」と割り込む。
ごみ箱が遠ければ、「自分が困らなければいい」とその場に捨てる。
公共の場所でも、「自分の自由だから」と周囲への迷惑を考えない。
会社でも、「勤務時間は終わったから」と、緊急対応中の仲間に何も告げず帰る。
もちろん、これらは「空気を読まない」というより、
ルール違反や他者への配慮の欠如です。
しかし、社長が伝えたかったのはそこでした。
「空気を読まない」という言葉の中に、
「他人のことを考えなくていい」まで混ぜてはいけない。
「空気を読む」は本当に悪いことなのか
空気を読むとは、本来、
「自分以外の人間が何を考え、何を必要としているのかを想像する力」でもあります。
相手の表情を見る。
困っている人に気づく。
自分の行動が周囲にどんな影響を与えるか考える。
言わなくても助け合う。
自分だけ得をする行動を控える。
こうした行動まで捨ててしまったら、組織はどうなるでしょうか。
問題なのは、「空気を読むこと」ではありません。
「空気に支配されること」です。
ここは分けて考える必要があります。
「空気を読む集団」と「読まない集団」
二つの会社があったとします。
A)「自分だけ得をすればいい」ではなく、
「自分も少し譲る。その代わり相手も少し譲る」という行動を社員がお互いに取る。
B)「他人がどうするかは関係ない。自分にとって一番得な行動をする」という人ばかり。
短期的には、後者の方が得をする人が出てくるかもしれません。
しかし、それが全員の行動原理になったらどうでしょう。
誰も助けない。
情報を共有しない。
面倒な仕事を押し付け合う。
自分の失敗を隠す。
他人の失敗を利用する。
やがて全員が、
「自分だけ協力したら損をする」と考え始めます。
結果として、組織全体が弱くなっていきます。
ここには「囚人のジレンマ」と似た構造があります。
個人にとって合理的に見える「自分だけ得をする」という選択が、
皆に広がると、結果的に全員にとって悪い状態をつくってしまうのです。
(誰もが自分の利益を優先する▶「誰も得をしない」状況を作り出す。)
逆に、長期的な関係では、
「自分も協力する。相手も協力する」という相互協力が成立すれば、
一人では生み出せない大きな利益をつくることができます。
会社も同じです。
強い組織とは、全員が空気に従う組織でも、
全員が好き勝手に行動する組織でもありません。
「日本人は空気を読みすぎだ」という批判から本当に考えるべきこと
この社員に「もっと空気を読め」と指導するだけでは、
本質的な解決にはならないでしょう。
会社として教えたいのは、次の違いです。
◎「自分の意見を持つこと」と「自分勝手に行動すること」は違う。
目指すのは、「同調」ではなく「協調」。
「空気を読む」とは、
「みんながそう言っているから間違っていることでも従う」ではありません。
自分の考えを持ちながら、他人のことも考える。
自分の利益を守りながら、仲間の利益も考える。
必要なときには周囲と違う意見を言い、それでも組織の一員として協力する。
それは「自分を殺して周囲に合わせること」とは違います。
むしろ、「自分も大切にする。他人も大切にする」という、より高度な協調です。
そして長期的に見れば、
そうした人が集まった組織の方が、
「自分だけ得をすればいい」という人が集まった組織より強くなる。
「日本人は空気を読みすぎだ」という批判から本当に考えるべきなのは、
「空気を読むことの是非」ではなく、
「自分と他人の利益を、どう両立させるか」なのかもしれません。
