
本気で何かに打ち込む覚悟があった。
時間も人間関係も、楽しみも削り、ただ目標のために生きてきた。
毎日、決まった時間に起きて眠り、
手に取るのはいつも専門書。
他人の評価ではなく、自分の納得を基準に、
外の声に左右されない生き方を選んできた。
その過程で、両親を泣かせたこともある。
それでも、未来のためだと信じ、
「大事の前の小事」と言い聞かせて進んできた。
しかし今、冷静に振り返ると分かる。
この生き方は、賭け金があまりにも大きすぎる。
成功すれば大きなリターンがあるかもしれない。
けれど失敗すれば、取り返しのつかない損失になる。
実際には、その道で一生を費やしてしまう人の方が多いのだろう。
「壊れてもいい」という覚悟は、確かに強さだ。
だが同時に、それは危うさでもある。
無理を美化し、苦しさに意味を与えすぎると、
本来必要なはずの修正や撤退ができなくなる。
この生き方は、「本気」という意味では価値がある。
しかし、「合理性」という意味では、決して完成されてはいない。
そして今、
両親を見送り、ふと立ち止まったとき、思う。
——そろそろ、生き方を変える時期なのかもしれない。