限界国家、日本

令和維新

あるイラク帰還兵は「自分の周りが静かだからと言って平和だと思い込むのが一番危険」と言いました。

人口が減っている国で成長した国はありません。歴史上では、そうした国は『近くの元気な国』に占領されて終わりだというのに、日本の少子化問題はすでに20~30年悪化の一方。

海外では日本は『過去の国』、すでに手遅れだという評価が出来上がっています。

弊所では、日本はすでに『少子化』により『限りなく不可避な国家の存亡の危機』にあると位置付け、事務所名を『限界国家日本を救う労務管理事務所(LSO)』と命名しました。『少子化問題』について、当事者の一人としての意識を忘れず、具体的な解決策を示し、実践していくことを常に意識づけるためです。

目的』と『目標』異なります。弊所が掲げる『長期・短期の目標』の延長線上に『少子化問題解決』という『目的』があります。

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日本における、「かつての日本国家の存亡の危機」

実は日本はかつて、同様に国家の存亡の危機にあった時期があります。幕末・明治期、『帝国主義の時代』です。

デリケートな問題なので、「問題解決の方法の是非」や「他の国の迷惑をかけた」といった点の議論は避け、ここでは、“財政も貧困、農業の他ろくな産業持っていないような日本”が、当時どのようにして『帝国主義の時代』を生き抜いてきたのかについて少し考えてみます。

日本は帝国主義の時代において、アジアで唯一独立を守った国です。言うまでもなく偶然起きたのではありません。幕末・明治の人たちの「変わらない毎日を変わらないで歩いていくために、平凡な時間をなんとなく過ごしていてはダメなんだ」という思から生まれたものです。

明治維新が起きたエナジーは、

「外国から犯されるかもしれない」という恐怖でした。幕末・明治の人たちは、圧倒的な大国であった当時の中国(清国)がアヘン戦争で負け、「日本も現状維持は滅亡」という認識を持ったのです。

現在を生きる私たちは、帝国主義のこの時代も、『侵さず、侵されず平和を守れたのではないか』と考える方も多いと思いますが、当時は謀略だけが他国に対する意思であり、侵略だけが国家の欲望という時代。日本を除くアジアすべてが植民地になったのです。

世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、奴隷が嫌なら産業を興して軍事力を持ち、帝国主義の仲間入りをするか、その二通りの道しかありませんでした。

ですが、幕末・明治の日本は人口も少なく、財政も貧困、農業の他ろくな産業持っていないような国でした。子供は都会の一部を除いて靴を履く習慣もなく、わら草履かはだしのような状態だったのです。

それでも自立の道を選ぶというのなら、極端にいえばほとんど飲まず食わずに西洋の進んだ武器を購入するしかありません。実際、日露戦争前の総歳出は軍事費55%(明治30年度)。今の防衛費は1%程度ですから、当時の国民生活から言えばほとんど飢餓予算です。 この時代の奇妙さは、これについての不満がどういうかたちでもほとんどでなかったことです。

日本がいよいよ侵略に対する不安を抱いた国はロシアでした。当時のロシアは後世の史家がどう弁解しようと、極東に対して濃厚すぎるほどの侵略意図を持っていました。実際、当時のロシア政府が行った対日本外交の“酷さ”は、一強国が他の国に対する例としてヨーロッパ外交史に例がありません。

司馬遼太郎は、著作『坂の上の雲』において、日露戦争における日本の立場は「追い詰められたものが生きる力のぎりぎりの力を振りしぼろうとした防衛戦であった」と語っています。

何はともあれ、幕末・明治の人たちは「現状維持は滅亡」という認識「欧米列強に負けない近代国家を作る」という明確な目標設定、「自分たちならできる」という一貫した自己評価により、帝国主義の時代に“アジアに唯一の独立国、日本”を実現したのです。

お前がいつか出会う災いは、
お前がおろそかにしたある時間の報いだ
                   ナポレオン・ボナパルト

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